僕は行ってませんが本日、日本版ハフィントン・ポストの一周年記念イベント「未来のつくりかた」がありました。
このハフポというメディアへの期待と現実、その巧妙なずれについて書きます。

日本上陸に際しての大きな期待

ハフポ日本版は鳴り物入りで日本に上陸しました。本国アメリカのハフポはピューリツァー賞を獲り、ニューヨークタイムズなどの看板記者がどんどん移籍しにくる怪物メディアです。hahupohongoku
日本版は、上陸前からあれやこれやと噂が飛び交い、公開1か月で「失敗だ」との声まで出ました。

ハフィントン・ポストとかほんと何だよ。朝日新聞は目を醒ませよ。

ハフィントン・ポスト上陸で明らかになったプロレス団体化、ロックフェス化するネット論壇サイト

裏を返せば、そこまで期待されていたということです。ハフポにかかる漠然とした期待の正体って、何なんでしょうか?


日本では2009年から、ライブドア(当時)が「BLOGOS」で本国ハフポ同様のモデルを始めました。個人の発信でネット言論をよくしようという理念をもつメディアで、管直人元首相とか田原総一朗さんの記事もよく載ります。しかしその政治的に中立な姿勢から、拾えていないニーズがありました。

「リベラル論壇」の理想と現実

日本版1周年にあたりハフィントンポストに期待すること ―「リベラル論壇」であり続けて欲しい

そのニーズとは何か。英国のジャーナリスト、小林恭子さんの記事が物語っています。現在の日本のネット空間では、ネトウヨ的な言論が圧倒的にウケます。そうした排外主義へのカウンターパートとして、既存のリベラル系の新聞や雑誌がうまく機能している気も、しません。ヤフー個人やBLOGOSも、建前上フラットなプラットフォームです。だから「健全なリベラル言論空間」が期待されたんでしょう。本国ハフポは明確にリベラル寄りという背景もあります。

けれどもハフポ編集長の松浦さんは、自らを「戦術家」と呼びます。メディア人独立の時代が来る!と叫ぶ佐々木紀彦さんやメディア・メーカーを提唱する田端信太郎さんのような大言壮語の「戦略家」と対比して、定まった目標に対してベストなアプローチを繰り広げていくことが得意だと言います。

ハフポのターゲット層を団塊ジュニア世代に設定したのも、パイが大きい割に訴求できているメディアが少ない、しかも労働や育児など様々な社会的課題を抱えていてチャンスあるという合理的な帰結です。

そこに「健全なリベラル、云々」という理念的なものを期待するのは、少しずれている気がします。


しかし幸運なことに、「健全なリベラルの話題」って、実はFacebookのシェアとの相性が物凄くいいんです。以前取り上げたバイラルメディアのUpworthydropoutに近いです。

象徴的なのが、今年1月に境治さんが執筆した「赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない」という記事です。育児問題を提言する素晴らしい記事ですが、これは16万以上の「いいね!」を獲得しました。とてつもない数です。ハフポに対するこれまでの累積いいね!数(8.9万)より多い。
 いいね

でも考えてみたらFacebookに「赤ちゃんにきびしい国で~」という記事があがってきたら、とりあえずいいね押しますよね。一方、集団的自衛権の行使についての激論って、たとえ賛同してようがシェアするのは結構勇気が要ります。(小保方さんを貶めるな!みたいな陰謀論が数千いいね!を獲得してたりも、しますが……。)
「健全なリベラルの話題」は、理念というより、戦術としての有効性からも推進されています。
境さんの16万いいね!は、ハフポの方向性を正当化した瞬間でしょう。本日行われた1周年イベントでも、境さんは登壇しました。

いわゆる「猫画像批判」についてもこの文脈から理解できます。ハフポって、よく動物の画像記事をアップしているんです。


猫

猫、可愛いですよね!いっぱい見られてシェアされがちです。それに対して、「それが作りたい言論空間なのか」みたいな批判は時々見られますが、お門違いなわけです。ユーザーが見て楽しめてシェアしたいと思えるものを提供するのがハフポだから、猫画像も立派な手段の一つです。本国ハフポでも、猫の画像は多数扱われています。

「未来」をつくるための課題

戦術としてのポジティブな言論、シェアしたくなる素材をうまく集めてきたことで、ハフポは月間で1000万人以上のUUを獲得しました。
hahupo

よく揶揄されたように、日本上陸して大失敗した「オーマイニュース」の二の舞にはならないという雰囲気が見えてきました。
問題は「その先」に行けるかどうか。月間PV5000万、UU1000万というのはこの手のメディアの一つの限界です。東洋経済オンラインがそうなように。

松浦編集長の目標は「より多くの人を楽しませる」ことですが、ここから更に拡大する際の仕掛けはどこにあるのでしょう?


もう一つ根本的な問いがあります。ネット空間に、この規模で良質なメディアを作ったのは素晴らしいことです。しかし「いい話」ばかりがどんどんシェアされ、荒れるのを防ぐためコメント欄にも検閲が入る「人工的な美しすぎる空間」は、どこかネットの本質と相反する気もします。美しい空間であり続けられるのか、それとも結局「ウェブはバカと暇人のもの」なのか。



日本版ハフィントン・ポストの今後を追うのが非常に楽しみです。