今日はプロブロガーとして第一線で活躍しているイケダハヤトさん(@ihayato)にお会いしてきました。


インタビュー内容はまた後ほど記事にしてアップしますが、すぐに実践できるアドバイスとして、
「ブログ名からコンテンツの内容が分かりにくいし、SEO的にもよくない」というお言葉をいただいて納得したので、ブログ名を変えました。「くまりんのビッグベア・ウォッチ」という名前を気に入ってくださっていた方々には申し訳ありません。

questには"(まだ明らかになっていない真実や宝物を)探し求める"という意味があり、「メディア・クエスター」はこのブログの方向性を表す言葉で、ひいては今のところ僕が取り組み・目指していることそのものです。
 
重々自覚していることですが、僕はまだ何も大したメディアを立ち上げたわけでも、コンテンツを作ったわけでもありません。

イケハヤさんからも「期待しているよ!」という激励をいただいたのをはじめとして、インタビュー相手であるジャーナリストやメディア経営者の方々から応援の声をかけてもらい、「やはり、米国現地メディアを調査する需要はあるんだ」という確信は深めていますが、実際に渡米するのもまだ先の話です。 
一方で僕がベンチマークの一つにしている「メディアの輪郭」 という海外メディア紹介媒体を作っている佐藤慶一さん(1990年生まれ)は、実際に途上国情報発信メディア「トジョウエンジン」を立ち上げた経験を持ち、現在は現代ビジネスで編集者としてバリバリ現場に出ています。
それを見ておきながら何故僕は今ブログ以外にメディアを作ろうとしていないのか?

ここで、僕が「アメリカ新興メディアへの取材留学」というものをやろうと思った理由を、今一度説明させてください。

僕は昔から根っからの活字大好きっ子でした。小学2年で「ズッコケ3人組」シリーズを読んだのがきっかけでそれから大学生になるまでずっと年間数百冊ペースで読んできましたし、中学生の頃までは自分で小説も書いていました。


総計でノート十数冊分+原稿用紙数千枚分にはなります。小学校の係で「生き物係」とかに加えて「新聞係」「文芸係」とかをねじ込み、新聞もどきを立ち上げたりもしました。
ネットで読んだり書いたりするのも大好きで、中学生にしてネトウヨを拗らせて2ちゃんねるでの議論に没頭したこともありました。 

ですが、大学3年生になって就活に向けたサマーインターンを考える際、メディア系の企業は意図的に除外しました。なぜなら、「メディア業界はオワコンだ」といたるところで目にしたし、聞かされていたからです。出版不況、記者の不要化、下降の一途をたどる市場規模、云々。メディア好きだからこそ、その未来のなさを知って敬遠していました。だから、「テクノロジーが世の中を変える流れを追いたい」という気持ちは、コンサルタントとかバンカー、或いはITベンチャーでの実行者として果たしていくしかないのかなあ、とぼんやりと考え、(周囲の東大生にも流され)、そういった企業に応募して、落ちたりたまに受かったりしていました。

大転換のきっかけは、ある企業のインターン課題で、書籍ビジネスについて調べているときに出会った「五年後、メディアは稼げるか」(東洋経済新報社)という本でした。
 




この本はオワコン化していくメディア業界を生々しく描写しつつ、実は最先端のIT企業が最も古びたメディア企業を変えているまさに最中で、非常にエキサイティングだ、と語っていました。そして時代の潮流を乗りこなし、新しいマネタイズ方法を考えたメディア人は、引く手あまたになる、と。

それがこの上なく面白いと思ったのです。まさしく「テクノロジーが世の中を変えていく流れ」で、対象は僕が好きなメディアというものそのものです。それに、まだ誰も見つけていない答えを見つけられれば自分自身はオワコンにならずスターになれるというところにロマンも感じました。

だから僕は、まずは今最先端を走るメディア関係者に取材して、メディアの未来のヒントを探ろうと考えました。そしたらやっているうちに、この目的に対して僕と同じ手法をとっている人が案外少なく、やりようによっては需要が高い、という自信を得ました。"メディア関係者への取材"というコンテンツ自体でまだしばらくはやれることだらけだし、学びたいことだらけです。
これが行き詰まり、実際にメディアを動かしてみないとこれ以上分からない、というところまで来たら「メディア・メイカー」にもなるつもりです。アイディアはいくつかあるので、取材で得た知見をフルに活かして、チームを結成してメディアを立ち上げたくなると思います。

それまで、しばらくの間は動き回り話を聞きに行き続ける形でメディアの未来をクエストしていく所存です。