メディア・クエスター

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 ネット上の動画やリアルの講演会記者会見などを書き起こすことを目的としたサービス「Logmi (ログミー)

 昨年日本中を笑わせた「野々村議員の号泣記者会見 」も書き起こして1万以上のいいね!を集めたのをはじめとして、様々な動画が文字の記事として発行されている。日増しにその存在感を大きくしており、立ち上げ正式開始から8ヶ月を待たずに月間ユーザーは200万人に達した。

 しかし、動画を文字にすることで聴覚障害者も楽しめるようになったり、要点だけを素早く読む・SNSでシェアしやすくなるといったユーザーの利点がある一方で、書き起こしサービスには「著作権侵害をしていないか?」との疑念がすぐに向けられる。

 そんなログミーの編集長であり代表取締役も務めるのは、株式会社サイゾーで「日刊サイゾー」をはじめとして10以上ものウェブメディアを立ち上げ、独立後も多くのメディアプロデュース経験を持つメディア・プロデューサーの川原崎晋裕氏。サイゾーを独立した彼はなんのためにログミーを作り、 これからどうしていくつもりなのか? 

 これまでメディアからの取材を断ってきた彼だが、「仲間や協力者を作るために、我々がやっていることを伝える必要が出てきた」と語り、今回のインタビューに応じてくれた。前後編にわたって、 川原崎編集長のビジョンを追う。
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最初はけんすう氏と相談して立ち上げた

――「ログミー」を立ち上げようと思ったきっかけをまずは教えてください。
 

 僕は新卒でエン・ジャパンというところに入って営業を3年間やって、その後サイゾーで6年間働きました。そろそろ独立しようかな、転職しようかなと迷っていたので、旧知の仲である「nanapi」創業者のけんすう君に相談にいったんです。
 

――けんすうさんのような起業家に相談したら、絶対起業しろって言うに決まってるじゃないですか(笑)
 

 ええ、「やれ」って言われて、起業すること自体は5分で決まりました(笑)で、どの分野でやろうかと考えた時に、2013年当時で伸びてきそうだったクラウドソーシング(作業を外注する仕組み)を使って書き起こしサービスをやれば面白いだろうと思い、Logmiを始めました。

 最初の頃に書き起したのは、2ちゃんねるの元管理人のひろゆきと、(アメリカ版2ちゃんねるとも言える)「4ch 」創始者のムート氏の対談 です。英語と日本語が混ざった対談だったので、英語部分の翻訳もしました。この動画は実はけんすう君からリクエストがあったもので、当時の彼は英語がわからない、でも内容が知りたいということで、やってあげたというわけです(笑)

 その後会社からも独立しましたが、最初は、社員はゼロで、記事公開のペースも2週間に1本程度でした。それまで様々なウェブメディアを立ち上げてきた経験から、メディア・コンサルタントの仕事を頼まれることが多く、そちらを中心的にやっていたんです。ちょうど「これからはオウンドメディア(企業が自製するメディア)の時代だ」という風潮があり、メディアの立ち上げをできる人の需要が高かったのです。

 そうして1年近く経ち、 人気も出てきたのでコンサルの仕事を減らし、スタッフも1人雇って月100本ほど記事を出すようになりました。それが2014年4月のことです。ログミーは今のところ全く儲かっていないサービスですが、それでもなんとか運営できているのはコンサルでの収入があるからです。

著作権の許可はほとんどとっている

――書き起しサイト全般に対して著作権侵害を指摘する声もあります。Logmiに対してもごく初期から、やまもといちろうさんが鋭く指摘 していました。どこまでがオッケーで、どこからがダメなんでしょう?そして、どういった対応をしていますか?
 

 大前提として、ほとんどのコンテンツで著作権者から書き起こしの許可を得ていますが、発言者や主催者の利益を損ねるものはやらないというのが基本的な方針です。書き起しといえば簡単に誰でもできてPVがとれるのはテレビやラジオのコンテンツを扱ったものですが、これはただのおいしいとこどりだし、タレントや番組制作者といった、コンテンツで食っている人たちの権利をモロに侵害しています。ログミーでも昔、試しに1本やったらものすごく怒られました。それ以来、きちんと許可をとるようになり、結果として、最近はテレビ局との公式コンテンツも配信できるようになりました。

 私自身も元々、コンテンツを作る側の人間なので、よくIT企業がやっているような著作権無視メディアのようなことはやりたくありません。(パクりで儲けられたくないという)コンテンツホルダー側の気持ちがわかっているつもりです。

 話し手に許可をとり、必要であれば事前に原稿を見せて直しをしてもらうこともあります。イベントという場で喋ったことを全部書かれては困るという人も当然いますが、その場合は本来言いたかったことに修正してもらいます。発言者の揚げ足をとって世の中に広めたいというのが目的ではないので、「その人にとってプラスになるならやろう」というスタンスをとっています。原稿の直しは発言者に手間どらせることもあるので、そこは今後の編集体制の強化で補っていくつもりです。

ログミーに求められる「編集技術」

――現在のスタッフは川原崎さんを除き2人だけとのことでしたが、どういった方を採用されたんでしょうか。
 

 素人を採用し、編集者として育てています。実はログミーの記事に求められる「編集」ってけっこうハードルが高いんです。イベントでの対談や講演会などを多く取り扱っていますが、こういったものってある意味雑談に近くなるじゃないですか。普通の記事とくらべて、要点がわかりづらいというか。それを書き起こしただけではごちゃごちゃしていてとても「記事」とは言えません。そこに意味付けし、タイトルをつけていく高い編集能力が必要とされます。でもそういった能力を持っている優秀な編集者はたいてい企画提案や取材からやりたがります。それはログミーではできないということで(オリジナル取材もやっているがメインではない)、解決策として私が編集者を育てることにしたのです。

人から感謝されるメディアは見たことがない

――儲からないと仰っていましたが、独立して、儲かるメディア・コンサルの仕事まで減らして社員も自分で育てていらっしゃいます。そのモチベーションは何でしょうか。
 

 このサービスを公開したときに、「短い時間で読めていい」とか「行けなかったイベントの内容がわかって助かってる」といったような反応を受けました。これまで色んなメディアに携わってきましたが、人から感謝されるメディアって、見たことがなかったんですよね。

 動画を文字にすることで耳の聞こえない方も楽しめるようになるし、検索や拡散、アーカイブ化も可能になります。そうして面白いものをより広く伝えていきたいのです。

 

 それでは、ログミーの現状と、これからの可能性はどういったものなのか。後編に続きます。

 紙の新聞・雑誌の売上高は落ちこむばかりで、その代わりに読まれるようになったデジタル版はそれを補うほどには稼げない。だからこそマネタイズのイノベーションが求められる――

 そういったことが日本やアメリカ、先進国のメディア業界ではここ数年ずっと言われてきました。
 しかし、実は世界的に見ればまだ成長分野は残されているのです。

 まずは、WAN-IFRA(世界新聞・ニュース発行者協会)が発行している「World Press Trends 2014」のスライドシェアを見てみましょう。
 確かに欧米とオセアニアの売上高は鋭く落ちこんでいますが、アジアや南米、中東・アフリカでは、紙ですらcirculation(購読者数)は右肩上がりです。そう、新興国のメディア業界はまだ未成熟でこれからの伸びが見こめるのです。グローバル化の影響やネットの普及によってどういうメディアが出てくるのか。今回は中でもとりわけアジアのメディア業界におけるチャンスについて語っていきたいと思います。

 まず、World Freedom Index 2014によれば、アジア各国の報道の自由・世界ランキングは未だに軒並み低いです。無題(http://rsf.org/index2014/en-index2014.php より転載、赤線は筆者による)

 独裁国家もあり、政権批判につながる政治ネタは厳しく規制されていて書けないでしょう。しかし、経済ネタや娯楽などの切り口ではチャンスがあるのを見越し、とりわけ英語圏のメディアが進出ラッシュをかけています。(勿論経済ネタも政治に依存することがあるので限定される部分もありますが。)

 たとえば世界最大の経済メディアであるイギリスの「The Economist」はアジア地域による売り上げを大幅に伸ばしてきました。
2009年から2014年までの5年間で、全体は3.6%の伸びにすぎなかったのが、Asiaは44.0%の伸びを達成しました。image(Annual Reportより作成 単位は1000£)

中でも2億4千人を超えるアジア新興国で最大規模のインターネットユーザー数を有し、英語が公用語の1つであるインドには、米国のウェブメディアが続々と進出しています。  

(媒体名)      (主要分野)  (インド進出時期)
Business Insider  経済         2013/09
Quartz            経済         2014/06
Buzzfeed         娯楽      2014/08
Huffington post                       2014/12

 急速な発展を遂げ、毎年何十万人も増加する新興富裕層・ビジネスマンの興味を満たすようなメディアが、経済分野を中心に需要されているのでしょう。

 しかし途上国においては、PCをすっ飛ばしてスマホが普及する「leap flog(馬跳び)」現象が起こりますから、スマホ最適で、当たり前のようにソーシャルにも対応した最先端のメディアのあり方が要求されます。逆にいえば、New York TimesやWall Street Journal,Bloombergといった大手メディアを出し抜いて大量の読者を獲得しブランドを確立するチャンスとも言えます。だからこそ立ち上がってわずか数年の新興メディアも積極的に海外進出するのではないでしょうか。ここに地元の有力なメディアも加わってくれば、激しい読者獲得競争となるでしょう。そこからデジタルを前提とした新しいビジネスモデルが生まれるかもしれません。イノベーションはカオスなところから出てくるものなので。

American Media Brands Cast Web Over News in India ―Huffington Post

 これから間違いなく経済的に発展し、世界を面白くする中心地は東南アジアやインドなどの新興国になっていくはず。そこで文化が育まれていく過程で、彼ら/彼女らが何を読むかというのは重要でしょう。メディアの力で影響を与えていくという営みにはダイナミズムを感じます。
 多くの日本企業も中期経営計画などで東南アジア進出を柱として掲げていますが、言語の壁に阻まれてアジアを舞台にしたメディア進出競争から取り残されてしまうのであればそれは残念というほかありません。日本×アジア×経済という切り口だけでも色々なチャレンジは可能だと思うので、自分もいずれ何か作っていければと思います。


【参考】
India’s Daily Readership of Online News and Information Jumps 34 Percent in the Past Year 

 フランスの風刺雑誌「シャルリー・エブド」を発行していた新聞社への襲撃事件と、その後の容疑者立てこもり事件が世間を騒がせています。

 テロリストによって殺害された被害者には哀悼の意を示すほかありません。ありませんがやはり、下記のような絵を見ると、過激派が怒り狂う理由は理解できます。

(Twitterよりキャプチャ) 
すでにTwitterなどで多くの人が指摘していましたが、原発の影響で手足が3本になった日本人の風刺画などを描かれているのを見ると、僕もとても嫌な気分になります。

 しかし、言論には言論でかえさなくちゃいかん、「表現の自由」を暴力で脅かしちゃいかん、と世界中で声高に叫ばれています。フランスでは大規模な追悼集会が起こり、殺された編集長の名を借りて「Je suis Charlie(我々はシャルリーだ)」と掲げられています。
(Twitterよりキャプチャ)
その他にもヨーロッパ中の国々やアメリカの政府が「表現の自由を支持する」と声明を出しました。

 さて、この事件についてどういう意見表明をしようかと、色々迷いました。そして調べていく中で、
7年前に読んだこの記事のことが思わずよみがえりました。

いっそひぐらしのせいでもいいんじゃないのか、もう。フィクションは現実に影響するよ。 

 内容は、当時の青少年の猟奇的な事件が「ひぐらしのなく頃に」という作品に影響を受けたものだ、とマスコミからたたかれていたことについて、作品のファンが意見を表明したもの。筒井康隆の小説「大いなる助走」の影響を受けて殺人に走った少年が過去にいたという話に類似しているとし、筒井康隆がそれを肯定的に捉えていたことを伝えています。筒井はなんと

愛情に飢えたこどもに対して僕の文学は効きめがあったわけです。人殺ししちゃつた(笑)。


とまで言っています。

 もちろん今回の事件(読み手が書き手を殺した)と「ひぐらしのなく頃に」「大いなる助走」(読み手が書き手とは別の人物を殺した)とは根本的に構造が異なります。 しかし同様と言えるのは、ある表現が、受け手に「殺人」という行動に至らせるまでの影響を与えたこと。

 そもそも漫画や文章といった実態を伴わないものが、人の思想に影響を与え、行動まで改めしむる。それは表現することの醍醐味でもあります。
 僕も、高校2年生の時に村上龍の小説を読んで「もっと人生を楽しまなくてはいけない」「もっと勉強して世の中のことを知らなければいけない」と強く思ったことでその後の人生が変わりました。     
 僕も人に影響を与えたい、そのためにたくさん文章を書いたり体を動かして表現していきたい、と強く思うようになりました。

 けれど、誰も傷つけない強い表現などというのはこの世に存在しません。

 一生懸命調べて、考え抜いた末の持論を発表して記事が反感を買って炎上することもあります。とりわけネット媒体であれば、匿名であろうとなかろうと、容赦ない罵詈雑言が浴びせられることも。僕のような学生ですらそうなのだから、プロは日常茶飯事でしょう。ある時、元新聞記者の方に「ジャーナリストになろうと思います」と相談したら、「(後遺症の残る怪我をする場合もあるから)保険にはキチンと入っておきましょう」とアドバイスされたことに衝撃を受けました。

 日中韓の学生がそれぞれの平和を願い踊る動画をアップロードしたら、自身もヘイトスピーチに晒された友人もいました。

 だからといって誰も傷つけないでおこうと最大公約数的になれば、その表現からは魅力がなくなります。

  インスタントに「ええ話やなあ」と消費されてすぐに忘れ去られり記事がFacebook上にあふれかえっていたりしますが、そういった表現にはあまり価値がないと僕は思います。「ためになった」でも「感動した」でもいいですが、人に何か真剣に影響を与えようとするから価値が生じます。 

 個人的な反省もあります。昨年、僕がブログや他の媒体でさまざまな人にインタビューして記事にした際、また私見を書いた際にどこかで「嫌われたくない」という思いが強く働いて、必要以上に曖昧な表現をしてしまったこともありました。

 するとやはり、そういう記事は愛されないし、「中身がない」とばっさり言ってくれる人もいました。賛否両論まっぷたつ分かれるような記事、人の喜怒哀楽の気持ちを激しく揺さぶるような記事は総じて読まれます。

 繰り返し述べますが、何かを強く表現するということはそれがジャーナリズムであれフィクションであれ人を傷つけうるのだと思います。ある読者にとって届けなければならない情報は、別の読者や、取材相手にとって致命的なものであることは多々あるでしょう。楽しませるためのフィクションが差別だととらえられることもあります。

 「表現の自由」について、僕は専門家のような知識を持つわけではありません。しかしその権利が市民の、権力に対する闘争の過程で勝ち取られ、何度も脅かされてきた経緯は逆説的に、「表現とはある種の毒を内在するもの」ということを示しているのではないでしょうか。

 僕はもちろん殺されたくありません。けれど表現という毒に魅せられた一人なのだから、その扱い方に長け、正しい用途を心がけ、しかし「賛否両論」となることを怖れてはならないという、当たり前のことを再認識した日曜日の夕暮れときでした。

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